日本女子バレー界で今や不動のエースとなった古賀紗理那選手。
古賀紗理那選手は熊本で小学2年生からバレーをはじめています。
現在の活躍にいたるまでは、才能と家族の支えがあったようです。
今回は古賀紗理那選手の家族とエピソードを紹介していきます。
古賀紗理那の家族構成
古賀紗理那選手の家族構成は父親の古賀裕正さん、母親の古賀博恵さん、姉の古賀麗那さんの4人家族です。
古賀紗理那選手は3人に囲まれながら、小学生から高校生まで熊本県の学校でバレーをしていました。
古賀紗理奈選手が1歳の頃。
出展元:サンスポ
現在の活躍が形作られたのも、両親と姉の存在が大きかったようです。
古賀紗理那選手の父親、母親、姉について一人ひとり詳しく紹介していきます。
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古賀紗理那の父の古賀裕正
出展元:サンスポ
名前:古賀裕正(ひろまさ)
生年月日:1967年8月4日
裕正さんの出身の情報はありませんでしが、古賀紗理那選手が佐賀の神埼郡吉野ヶ町で住まれ、熊本に2歳の時に引越をしているので、裕正さんの故郷はこの辺りかもしれませんね。
裕正さんはバレー経験者ではなく、野球経験者のようです。
若い頃は爽やかにプレーしていたのではないでしょうか。
古賀紗理那の母の古賀博恵
出展元:サンスポ
名前:古賀博恵(ひろえ)
生年月日:1967年5月20日
中学・高校生とバレーの経験があり博恵さんの高校時代の夢は「春高バレーの出場」。
その夢が叶わなかった経験から、娘には春高を目指してほしいと思っていたようです。
「女の子が生まれたらバレーをさせたかった」
出展元:サンスポ
と、と語るように姉の麗那さんと共に古賀紗理那選手をママさんバレーに連れていきました。
古賀紗理那選手はバレー経験者の博恵さんの目からみて、競技開始当初からパスのフォームやダッシュに才能を感じたといいます。
古賀紗理那の姉の古賀麗那
名前:古賀麗那(れいな)
生年月日:1994年5月31日
出身高校:熊本信愛女子学院高校
出身大学:佐賀大学
姉の麗那さんも母の博恵さんに連れられママさんバレーに行っていましたが、バレーの強豪校の熊本信愛女子学院高校に入学することになります。
2歳年下の古賀紗理那選手は中学生時代から有名で県内外7校からオファーがあった人気選手。
にも関わらず熊本信愛女子学院高校に入学したもの、麗那さんのすすめもあったそうです。
古賀紗理那選手の麗那さんへの信頼が伝わってきますね。
古賀紗理那選手は1年生でレギュラーを獲得。
春高にも3年生だった麗那さんと2人で出場し、「ツインタワー」と呼ばれベスト4まで勝ち上がりました。
母の博恵さんは凄く喜んだことでしょう。
麗那さんは高校卒業後に佐賀大学に進学されています。
出展元:facebook
大学でバレーをしていた情報がないのでバレーの経験は高校生までだったのでしょう。
とはいえ、麗那さんから古賀紗理那選手はバレーに関わる影響を受けたのは間違いないでしょう。
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古賀紗理那と家族のエピソード3選
古賀紗理那選手が日本を代表するバレー選手になった背景には、家族の支えがあったのが大きかったようです。
古賀紗理那選手(左前)小学6年生に自ら移籍した大津ジュニアの頃
出展元:サンスポ
自らの意思を尊重させながらも、支えてた家族をエピソードを紹介していきます。
エピソード①古賀紗理那の自らの決断を見守る
古賀紗理那選手は小学2年生の3月に地元の大会に出場して「大津ジュニア」惨敗して、バレー人生を大きく左右されます。
その試合は0点で負け、父の裕正さんが苦笑いするほど。
両親が勧めたわけではありませんが、古賀紗理那選手は自ら移籍を希望します。
「(大津ジュニアが)厳しいとかは全然知らなくて、あんなに上手になりたい、みたいな感じでした」
出展元:サンスポ
母の博恵さんは振り返ります。

厳しい環境で練習をし、小学3年生の11月の大会では小学6年生に混ざりレシーバーも務めるほどに成長。
両親は小学2年生が決めたことに口を挟まず見守ることで才能が開花していきました。
エピソード②古賀紗理那は負けず嫌い
古賀紗理那選手は登校前の20分くらいでもトスを黙々とこなしていたといいます。
朝だけではなく、バレーにのめり込んでいて隙間時間は自主練習に充てていたそうです。
「負けず嫌いという意味で、欲が深いんですよ」
出展元:サンスポ
と裕正さんは語り、
「人に負けたくないというのはありますけど、最終的にはチームで負けたくない、となる。だから自分にも厳しいですし、たぶんチームの人にも厳しかったと思います」
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と博枝さんもチーム競技のバレーがそうさせたのではないかと語っています。
エピソード③古賀紗理那はストレスフリーで身長が急激に伸びた
古賀紗理那選手は急激に身長が伸びた時期がありました。
小学6年生の8月頃に「大津ジュニア」で次の世代に代替わりのため第一線から退きました。
そのため練習量が減ると158cmだった身長が11月に163cmになり卒業時期には166cmに到達。
家庭で食事の内容を変えたわけではなく、なぜ伸びたのか博枝さん曰く
「ストレスというか、肩の荷が下りたんじゃないですかね。小学校でも全国大会に行かないといけないというプレッシャーもあったでしょうし」
出展元:サンスポ
練習量も減り、心身がリラックスし体作りに良い影響を与えたのでしょう。
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まとめ
今回は古賀紗理那選手の家族と学生時代のエピソードを紹介してきました。
現在活躍しているスポーツ選手は本人の才能もさることながら、小さい頃の家族の支えがその後の競技人生に影響を及ぼすことがあるケースが多いように感じます。
母親の博恵さんも姉妹揃って「春高バレー」に参加し、古賀紗理那選手にいたっては日本を代表する選手に成長し、後は素敵な相手を連れてきてもらうだけでしょうか?
