球界を代表する選手に成長した村上宗隆選手。
ヤクルトに入団するまでは、地元の熊本で野球に励み強豪の九州学院に入学します。
体が大きく身体的能力は父親が元野球選手、母親は元バレー選手を遺伝子にもつことが大きいといえます。
実家はどこなのかというと、熊本県で父親の村上公弥さんがムラカミ不動産の社長さんをやられていています。
村上宗隆選手には3人兄弟いて3人とも野球のエリートの道を歩んでいます。
高いレベルで活躍するには、身体的な能力も必要ですが、精神的な強さも必要です。
社会人野球所属の兄の村上友幸選手、九州学院の野球部に所属している弟の村上慶太選手、
そして、村上宗隆を育てた父の教育感を紹介していきます。
村上宗隆の実家は不動産会社
出展先:ムラカミ不動産
村上宗隆選手の実家ムラカミ不動という会社を営まれていて、父親の村上公弥さんが社長を務めています。
事業内容は住宅分譲地や事業用地の仕入・販売に関する事業、賃貸マンション・テナントビルの計画、
個人の土地及び中古住宅・中古マンションの仲介業務を行っているそうです。
オフィスの中にはヤクルトのグッズで埋め尽くされています。
村上宗隆選手への想いが伝わってきます。
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村上宗隆の家族構成を紹介
村上宗隆選手は2人の兄弟と切磋琢磨し、両親の愛情を一杯に受けて野球漬けの毎日を送っていたそうです。
母親の村上文代さんが専業主婦、兄の村上友幸さんが社会人野球の選手、弟の村上慶太さんが九州学院の野球部、
そして、村上宗隆選手で実家は5人家族でした。
村上宗隆の父親の村上公弥
出展元:zakzak
名前:村上公弥
生年月日:1973年
出身:熊本
出身高校:熊本工大高等学校(現文徳高校)
父親の村上公弥さんも野球少年で、強豪校の熊本工大高等学校(現文徳高校)でショートを守っていましたが、
1年生の時に右肩の怪我で野球を辞めざる負えなくなりました。
兄の村上友幸選手は社会人野球、弟の村上慶太選手は2022年夏の甲子園話題の一人です。
村上宗隆の兄の村上友幸
出展元:テイ・エステック硬式野球部
名前:村上友幸
生年月日:1998年3月21日
出身:熊本
出身高校:東海大付属熊本星翔高
出身大学:東海大学
村上宗隆選手よりも先に長嶺地域スポーツクラブに所属していました。
甲子園で活躍することはありませんでしたが、大学でも野球を続けていました。
ところが、大学1年生の冬に右肘靭帯の手術を受け野球から遠ざかった時期もあったそうです。
そして、この時期に村上宗隆選手がプロデビューし何かと取材を受けて精神的にも弱くなっていたそうです。
大学4年生には大学野球部の監督に野球を辞めたいと伝えましたが、
監督のに励まされ野球を続け今では社会人野球の投手を務めています。
2019年の秋の4年生では首都大学リーグで初登板。明治神宮大会でも登板して、最速149キロの記録を出しました。
2020年には自動車内装部品メーカーの株式会社テイ・エステックに入社。2021年に野球部で本格的に活動を始めました。
村上宗隆の弟の村上慶太
出展元:Number
名前:村上慶太
生年月日:2004年11月11日
出身:熊本
高校:九州学院に在学
2022年夏の甲子園大会で九州学院で4場ファーストで出場。ベスト8まで勝ち上がりました。
村上宗隆選手の弟ということもあり、ドラフトで指名されるか話題になっています。
2人の兄の背中を見ながら野球を続け、村上宗隆選手が九州学院の仲間と
和気あいあいしているのを見て同じ学校を選んだといいます。
ちなみに、身長は190センチで2番。村上宗隆選手が188センチと兄弟の中では一番背が低いのです。

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村上宗隆の母親の村上文代
出展元:zakzak
3人とも地元の高校を選んだのは自分の意志というものの母親の文代さんのサポートがあってのことだといいます。
3人の兄弟は母の文代さんの作る料理が大好きで、好き嫌いなく食べたといいます。
食べ終わった後は家の前で素振りをするのか日課。
「おっきなジャガイモを洗うみたいに3人で風呂に入り、夜8時半には眠りにつく。とにかくよく寝ました。今の身長が、上から193cm、188cm、190cm。母ちゃんのご飯をいっぱい食べて、大きく育ってくれました」
出展元:Number
さらに、玄関では3人の兄弟がスパイクの泥を落とすのが日常の光景と話します。
弁当、食事、家での団らんが野球への活力となったことでしょう。
ちなみに、母親の文代さんは元バレーボールのアタッカーをやっていて身長170センチあるそうです。
村上宗隆と父親のエピソード
2017年秋に神宮外苑のクラブハウスでメディカルチェックが行われました。
新人選手が入団会見前に行われるもので、緊張感や高揚感をもって1軍施設を訪れます。
特にかしこまる場ではありませんが、村上宗隆選手は熊本の銘菓「陣太古」を持参し。
「両親もよろしくお願いしますと言いっていました。これからよろしくお願いします」と一言。
球団関係者も、お土産を持参した選手は記憶がないそうです。
そこには村上家の教えと村上宗隆選手の人間力が詰まったエピソードではないでしょうか。
出展元:デイリー
エピソード①マナーに厳しい
小さい頃は、おざなりな返事をしていると「そんな小さな声で伝わると思っているのか。伝わって初めて返事なんだ」
と、返事や食事マナーを厳しくしつけたそうです。
父親村上公弥さんの父親は警察官で礼儀やマナーに厳しく、
村上宗隆選手の2人の兄弟も野球のエリートとして活躍しています。
正座はもちろん、箸も持ち方、ご飯粒を残さず食べるのは当たりまえ。
3人兄弟を育てるにあたっても礼儀作法をきちんとできる人間になってとほしい想いから、
小学生のころまで厳しく伝え、手をあげることもあったそうです。
エピソード②最後までやりぬく
村上宗隆選手が幼稚園に入園した頃はプラスティックのバットで遊んでいたそうです。
右利きですが、イチロー選手や松井秀喜選手の映像を見ていた影響か左で打つように。
4歳になり兄の友幸さんに連れられ長嶺地域スポーツクラブに入団。
軟式ボールでのキャッチボールの際に、ボールを取り損ね鼻血を出していまいました。
それが原因で練習に行くのを嫌がったそうですが父の村上公弥さんが
「男が一度やると決めたことは最後までやるぬけ」と声援を送ったそうです。
それでも、野球を強制したことはないそうで、
頑張りたいなら頑張れ、努力だけは怠るな
と見守っていたそうです。
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まとめ
活躍している選手は技術や年俸のことに注目されるのはもちろんですが、
一握りしか現れない名選手は幼少の頃の人格形成が、必要なのだと感じさせられるエピソードでした。
3人もの野球エリートが育った村上家の教えは、難しい事を言っているわけではありませんが、
あたり前の事を淡々とこなしていくことが難しいのかもしれません。

