熊本県出身の村上宗隆は野球の才能に恵まれ、強豪校の九州学院高校に進学します。
当時は才能の片鱗はあったものの、実力以上に注目されるチャンスに巡り合うことがなく、
東京ヤクルトスワローズに指名され入団。
その後は順調にキャリアを積み上げ日本を代表するスラッガーに成長しました。
村上宗隆の高校の通算成績と甲子園出場、キャッチャーへの転向により何が変わったのか紹介していきます。
村上宗隆の出身は九州学院高校!
出展元:日刊スポーツ
熊本県出身の村上宗隆は幼い頃から野球の才能に恵まれていて、中学生には九州選抜に選ばれるほどの逸材です。
その後、熊本の強豪校の九州学院高校に入学。
スポーツの盛んな高校でプロ野球選手は今までで20人以上を輩出しました。
現役のプロ野球選手
選手名 | チーム | ポジション |
---|---|---|
溝脇 隼人 小田 裕也 島田 海史 村上 宗隆 中熊 大智 伊勢 大夢 川野 涼多 | 中日 オリックス 阪神 ヤクルト 西武 DeNA 西武 | 内野手 外野手 外野手 内野手 捕手 投手 内野手 |
甲子園には春6回、夏8回出場。
2000年には全国高等学校野球選手権熊本大会で史上初の3連覇を達成しています。
強豪校でありがちな厳しい上下関係を当時の監督であった坂井宏安さんの方針で作らなかったそうです。
トイレ掃除やグラウンドの整備なども上級生の主将やレギュラーのどの主力がやり、伝統は今でも残っているそうです。
そんな環境で3年間過ごしてきた、村上宗隆の高校時代はどんな成績を残したのか見ていきましょう。
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村上宗隆の高校時代のホームランの数は?
村上宗隆の高校通算ホームラン数は52本。
歴代20位にランキングされていますが、今の活躍を考えると少し控えめな感じはしますね。
現在でもプロ野球で活躍している選手が名を連ねています。
高校通算本塁打記録
順位 | 選手名 | ホームラン数 | 学校名 |
---|---|---|---|
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 | 清宮 幸太郎 山本 大貴 黒瀬 健太 伊藤 諒介 中田 翔 中村 剛也 岡本 和真 高橋 周平 城島 健司 平田 良介 筒香 嘉智 大田 泰示 安田 尚憲 清原 和博 今宮 健太 松井 秀喜 中村 晃 大谷 翔平 佐々木麟太郎 村上 宗隆 | 111 107 97 94 87 83 73 71 70 70 69 65 65 64 62 60 60 56 56 52 | 早実 神港学園 初芝橋本 神港学園 大阪桐蔭 大阪桐蔭 智辯学園 東海大甲府 別府大付 大阪桐蔭 横浜 東海大相模 履正社 PL学園 明豊 星稜 帝京 花巻東 花巻東 九州学院 |
高校時代活躍していても必ずしもプロの世界で記録を残せるとは限らないようですね。
村上宗隆の甲子園の成績は?
村上宗隆での甲子園での活躍はどうだったのでしょうか?
1年生 夏の甲子園出場 初戦敗退
第1打席 サードゴロ
第2打席 サードゴロ
第3打席 センターフライ
第4打席 セカンドごろ
2年生
熊本県大会決勝で秀岳館に敗れる
3年生
熊本県大会決勝で秀岳館に敗れる
2・3年生にいったては甲子園出場も叶いませんでした。
出展元:西日本スポーツ
当時は早稲田実業の清宮幸太郎(現日本ハム)、履正社の安田尚憲(現ロッテ)、広陵の中村奨成の「高校BIG4」とされていましたが、噂通りの活躍とはいきませんでした。
高校時代は高校通算111本塁打、1年生の夏の甲子園で2本のホームランを放った清宮幸太郎に注目が集まったの言うまでもありません。
村上宗隆が高校時代のポジションから得たこと
村上宗隆は1年生の秋からキャッチャーへ転向します。
出展元:高校野球ドットコム
飛距離で負けないスラッガーである上に駆け引き、試合の流れ、投手のリードなど、野球を俯瞰に植え付けるためにあえてマスクをかぶらせたそうです。
当時の監督の坂井宏安さ曰く
中学時代からやっていたものありますが、彼は記憶力がある。捕手のリードをやらせたら勉強になると思った。甲子園に出るチームはやっぱり捕手がいい。いい捕手の元なら投手もよくなるし、一緒に伸びていく。また、野手のみんなを見られる。監督もベンチから指示はするが、最終的には自分たちでやらないといけない。捕手も、ここは前進だ、ビッグイニングにならないようにしようとか、捕手なら即座に分かる。こっちの意をくむ力が村上にはある。そういうことができると思った。
出展元:高校野球ドットコム
捕手を経験させたのも選手のピークを高校で終わらせない指導方法と語っています。
内野、外野だけではなくダイヤモンドの扇に要に座らせることで、野球全体を把握する事への理解。
村上宗隆は捕手としても勉強熱心で好投手との駆け引き、と対応力を身に着けることによって現在の活躍があるのです。
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まとめ
才能に恵まれていながらも、タイトルと輝かしい舞台には縁がなかった高校時代。
しかしながら、九州学院野球部の伝統や良き指導者により人格や技術が育まれていたのではないかと思います。
着実に経験を積んできて2022年は今までの野球人生の中で一番のタイトルと輝かし舞台で活躍している姿に多くの人が元気と勇気をもらっているのではないかと思います。



