来季のJ1昇格を決めた横浜FCの元日本代表の中村俊輔選手が今季限りで引退することがわかりました。
中村俊輔選手は日本代表やスコットランドのセルティックなどでフリーキックの名手として数々の伝説的なフリーキックを決めてきました。
今回は中村俊輔選手が今季限りで引退する理由と引退後は指導者の道に進む旨を詳しく紹介していきます。
中村俊輔が今季限りで引退する理由は?
出展元:JIJI.COM
中村俊輔選手が今季限りで引退することが2022年10月17日のスポニチで報道されました。
近年は右足首の故障との闘いが続き、熟慮の末、プロ26年の現役生活に終止符を打つ決断を下した。
出展元:スポニチ
さらに、
今年6月には千葉市内の病院で再び手術をした。患部がうむトラブルがありながら、足の指でタオルをつかむ動作を繰り返すなど必死にリハビリを続けた。ピッチでは貢献できなかったが、その姿勢は間違いなく、チームの支えとなった。
出展元:スポニチ
今年の6月には右足首の手術も行っています。
X線の写真に映し出された右足の関節部分は異常だってそうで、手術後には患部の感染症にも罹ってしまいました。
引退は昨季から考えていたそうで21年シーズンの途中に周囲にその旨を漏らすこともあったそうです。
それでも家族の支えもあり思いとどまりました。
今年も全体練習に参加できなかったある夏の日にも周囲に弱音を吐くことも。
それでも9月には全力疾走が出来るまでに状態は回復していったそうです。
10月2日のエリートリーグの名古屋戦では後半19分にボランチで出場。
約5カ月ぶりの実戦にも関わらす、運動量は少ないものの、ロングフィードやCKのプレーも見せてくれました。
しかし、今季の出場を聞かれると神妙な表情で積極的な言葉は聞かれなかったといいます。
背番号の変更も引退を考えていた一つの決意だったかもしれません。
出展元:毎日新聞
昨季までつけていた背番号10を今季からは背番号25を背負うようになり、若い選手に背番号10を譲りました。
数々の修羅場を潜り抜けてきた肉体は悲鳴を上げていたのです。
それでも44歳まで現役を続けてこれたのは、中村俊輔選手の精神力と体調管理が欠かせなかったことでしょう。
怪我のが引退の理由の一つだとは思いますが、この時期の引退を決意した本当の理由はチームに恩返しがしたかったからでしょう。
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中村俊輔が今季限りで引退する本当の理由は?
引退の原因は右足の怪我と報道されていますが、この時期に引退を決めたのは所属チームの「横浜FC」に恩返しがしたかったからではないでしょうか。
今季「横浜FC」はJ2で戦ってきましたが、10月16日に行われた明治安田生命J2リーグ第41節で、3位のファジアーノ岡山の試合の結果により中村俊輔選手が所属していた「横浜FC」が2位となりJ1リーグに昇格したことが本当の理由と言えるでしょう。
出展元:Twitter
中村俊輔選手の現役報道が出たのが、「横浜FC」のJ1昇格の次の日なので既に引退発表の照準をそこに合わせていたのでしょう。
実力や人気共に誰もが認めるプレイヤーですが、サッカーは一人ではできず、チームプレイでこそ試合に勝利できることを知っている中村俊輔選手だから、引き際のタイミングを見計らっていたと思います。
引退後の進退を気になる方もいると思いますが、中村俊輔選手は引退後の進退を指導者に決めていますした。
中村俊輔が引退後に指導者の道を志したきっかけは?
出展元:Sportiva
中村俊輔選手すでB級ライセンス取得済みで引退後は指導者の道に進むと明言しています。
「サッカー選手って、いろんな終わり方があるじゃない? 戦力外通告みたいなのもそうだし、ケガが理由の人もいる。やめるタイミングって、自分のなかであるから。やめなくていいなら、ずっとやめなくていいでしょ。だけど、次は指導者もやりたいし。それはタイミングって言うか、人それぞれだからね」
出展元:Sportiva
2020年のインタビューですから以前から指導者になりたいと考えていました。
中村俊輔選手は40歳になり横浜FCにやってきて怪我をしているわけではないのに、ベンチ外という状況を初めて経験しました。
そのことによりコーチやスタッフが環境を整えてくれることの大切さを改めて実感したといいます。
きっかけ①樋口靖洋監督が褒めちぎってくれた
中村俊輔選手は中学時代のマリノスユースを率いていた樋口靖洋監督に掛けられた言葉で道が開けたと言います。
出展元:J.LEAGUS.jp
樋口靖洋監督は当時、身長が低く筋肉が少なった中村俊輔選手にボールを足裏で引いてアウトサイドに出し相手の股を抜くテクニックを教えました。
周りの選手より成長が遅い中村俊輔選手に樋口靖洋監督は、将来を見据えて技術を磨く大切さを伝えたかったのです。
中村俊輔選手は、プロに入ってもからも当時も何も言われないいタイプでしたが、樋口靖洋監督は褒めちっぎてくれたそうです。
何気ない一言で、中村俊輔選手は道が開けた瞬間があったそうです。
そんな経験から中村俊輔選手は指導者への道を志したのかもしれません。
きっかけ②落合博満元監督と選手とのコミュニケーション
中村俊輔選手が以前から関心を持っている指導者が、落合博満元監督です。
出展元:Number
2004年から2011年まで中日ドラゴンズを率いて4度のリーグ優勝と2007年には日本一をに導いた名将。
落合博満元監督は批判もされますが、試合に勝つ監督で記者にも激励を飛ばすこともあったそうです。
選手を良く見て、顔つきやメンタルなど細かい所を観察しているそうです。
それはアラを探しているのではなく、選手が成長するための最善の方法を考えるためでした。
中村俊輔選手はそんな指導者を目指しているそうです。
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きっかけ③小学生の頃の監督から伝えられたメンタルの重要性
2018年1月、小学生とゲームでボールを蹴る中村俊輔選手
出展元:スポーツ報知
中村俊輔選手は小学生の頃の監督からも影響を受け、
「ミスは許す。さぼりは許さない」
出展元:Soortiva
といった指導の下で怒られたくないから必死に練習し技術が磨かれていったそうです。
その監督は勝ち負けよりも自分に打ち勝つメンタルを先に身に着けてほしかったのではないでしょうか。
中村俊輔選手も指導者目線で、サッカー少年・少女に大事なこととして、
「教育者みたいになっちゃうけど、やっぱり誠実さとか謙虚さとかじゃない? サッカーに対してというかね。そのあとは我慢強さとか、忍耐とか出てきちゃうけど。結局、全部はメンタルだから」
出展元:Soortiva
と語っています。
サッカー選手としては名選手として記憶に残るプレーを見せてくれましたが、指導者になったらどんな采配を振るうのでしょうか。
まとめ
今回は今季限りで引退を発表した中村俊輔選手の本当の引退の理由と、引退後の指導者像についてを紹介してきました。
中村俊輔選手は日本代表のサッカー黄金時代の代表的な選手と言っても過言ではありません。
あの見事なフリーキックは日本中に感動を与えてくれたと思います。
指導者の道に進み、第二の中村俊輔みたいな天才レフティーを育ててほしいものです。
