女子プロゴルフで活躍中の西村優菜さんですが、ゴルフを続けるにはごく普通のサラリーマンだった父と共働きの母で家計をやりくりするのは苦労が絶えなかったといいます。
さらに、2人の姉弟がいますが姉もゴルフ経験者なので家計を圧迫していたことでしょう。
今回は西村優菜さんがプロになるまでの苦労話と、家族構成、ゴルフをはじめるきっかけと、プルゴルファーを目指したきっかけをを紹介していきます。
西村優菜の貧乏エピソード4選
現在はプロゴルファーの西村優菜さんですが、ゴルフを続けていくには、家庭はそれほど裕福だったわけではなく経済的な面でも苦労したといいます。
西村優菜さんは小学2年生の時に世界大会で6位を果たしました。
当時の日本歴代トップの記録でした。
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それでは、プロになるまでの道のりを紹介していきましょう。
貧乏エピソード①ゴルフ用具は中古ショップかインターネットで購入
西村優菜さんの家庭はごく一般的な家庭で両親は共働きで家計を支えていました。
当時は西村優菜さんだけではなく姉もゴルフをやっていためゴルフで掛かる費用の捻出が大変だったといいます。
西村優菜さんは現在大手メーカーからサポートを受けていますが、以前は父の武彦さんがインターネットや中古ショップで安くていいゴルフ用具を探していたといいます。
そして、西村優菜さんをお店に連れていき試し打ちをし、熟考したのち選んでいたといいます。
貧乏エピソード②パターはグリップがボロボロになるまで使った
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西村優菜さんは小学6年間を一本のパターで過ごしたといいます。
グリップがボロボロになっていたそうですが、西村優菜さんも家計の事を考えて大事に使っていたのでしょう。
それを見ていた父の武彦さんは西村優菜さんに新しいパターをプレゼントしたといいます。
西村優菜さんは嬉しさのあまり、新しいパターを枕元に置いて一緒に眠ったそうです。
「その姿を見たとき、思わず写真を撮っちゃいました」
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と、母の枝里子さんは当時を懐かしく語っています。
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貧乏エピソード③費用の安い練習場やコースを見つけるのに何軒も回る
費用は練習場やコースを使用する際にも発生するので、両親は限りある費用で少しでも多く練習ができるようにと、練習場とコースを何軒も回り、低料金で練習させてもらえるようにお願いしたといいます。
すると一軒の練習場が平日1000円で打ち放題をさせてくれるようになりました。
西村優菜さんは中学時代、学校が終わるとその練習場に行きクラブを遅くまで降り続け、帰宅し勉強する生活を続けたそです。
「きっかけを作るため、頭を下げるのは僕たちの役目。頑張って結果を残して、道を切り開いたのは娘ですから」
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と、父の武彦さん。
両親の熱心さが伝わってきますね。
貧乏エピソード④遠征先の石垣でコンビニのおにぎりを食べた
メジャー初制覇した時の一コマ
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ジュニアゴルフで一番の負担は遠征費だといいます。
経費を少しでも減らすため試合会場へは父の武彦さんが運転するワンボックスカーで遠征地に向かったといいます。
さらに、試合中はホテルに泊まりますが、その前後は車中泊。
極めつけは、他の家族がレストランに行くのを見ながら、コンビニでおにぎりを買って石垣に並んで食べるというくらいに、徹底して切り詰めたといいます。
「彼女の夢なので、それをサポートするのが僕たちの務め」
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と両親の想いは一つだったんですね。
一時は、夫婦で通帳を眺め、もうダメかっもしれないと思ったこともあったといいます。
そんな両親に力与えてくれたのが、2016年の「日本女子オープン」。
西村優菜さんは6位タイとなりアマチュアで2位、アマチュアランキングに影響するポイントが付与され、ナショナルチームに入ることがでました。
その活躍に、
「娘の成績に励まされて、また頑張ろうと思えました」
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母の枝里子さんの喜びもひとしおだったに違いありません。
西村優菜さんの今の活躍は家族、特に両親の存在なくてはありえなかったでしょう。
その感謝の気持ちは2020年11月に初優勝した時に、「母親に捧げたい」という言葉に集約されていたのかもしれません。
家族と共に作り上げてきたゴルフの経歴ですが、次は西村優菜さんの家族を紹介していきましょう。
西村優菜の家族構成
西村優菜さんが10歳前後の頃。
当時から身長は低く、周囲より頭ひつとつ低かったといいます。
それでもこの頃、焼肉を17人前食べたそう。
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西村優菜さんの家庭は、父の武彦さん、母の枝里子さん、姉の未夢さん、弟の陽翔さんの5人家族です。
父の武彦さんは20歳の頃から20年以上、ホテルなどで調理師として働いていましたが、現在は物流関係の仕事をされているそうです。
母の枝里子さんはパートをし家計やゴルフで掛かる費用を共働きで支えていました。
姉の未夢さんは西村優菜さんよりもゴルフを先に初めていて、父の武彦さんと西村優菜さんと3人で練習していたそうです。
姉の未夢さんはプロには進んでいませんが、大阪ジュニア大会3位、USキッズ日本代表、PMG Jr.カップ優勝を飾るなどのゴルフの腕前があったそです。
弟の陽翔さんは西村優菜さんと9歳年が離れており西村家での初の男の子なので、愛情いっぱいに育てられているそです。
ゴルフをしている情報はありませんが、西村優菜さんが出場する大会には両親と駆けつけているようです。
西村優菜さんは小さい頃から父の武彦さん、姉の未夢さんとゴルフの練習をしていましたが、ゴルフをはじめるきっかけはなんだったのでしょう?
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西村優菜がゴルフをはじめたきっかけは?
西村優菜さんが「スナッグゴルフ」のセットを小学生に寄贈
出展元:dmenu
西村優菜さんがゴルフ好きの父の武彦さんが行く練習場についていき、クラブを握ったのが6歳の頃。
グリップもしっかりと握れないほどの小さな手でしたが、父の姿を見て自分もやりたくなり、人生初のスイングは見事にボールにヒットします。
「もちろんゴロだったんですけど、『楽しいな』って思いました」
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と、西村優菜さん当時を語ります。
父の武彦さんも、
「みんな最初は空振りするって聞いていたのに、当たったのに驚いて。ちゃんとやらせてみたら面白いかもしれないな」
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当時は姉の未夢(みか)さんが先にゴルフをしていて家族で練習を続けたそうです。
その甲斐もあって小学6年生の時に出場したジュニア大会で男子を退けて優勝し、その界隈を賑わせていました。
「何時間もパターの練習をしたり。目が白目になるまでやっていました」
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小さい頃から自分に厳しく練習してたからこそプロの道に進むことができたのでしょう。
そんな、西村優菜さんですが憧れている選手がいて、その人との交流があったからこそプロゴルファーの道を志ました。
西村優菜がプロゴルファーを目指したきっかけは宮里藍?
引退後の2018年に「サントリーレディースオープン」のアンバサダーとなります。
そして、大会名に名前が加えられることに。
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西村優菜さんは小学3年生の頃に六甲国際ゴルフ倶楽部で行われた国内女子ツアーを観戦しています。
伊丹空港には国内女子ツアーに参戦する宮里藍さん待つ報道陣が通路に収まりきれないほど詰めかけていました。
西村優菜さんにとって宮里藍さんは雲の上の存在ですが、会場で直接ボールをもらうことができました。
その時のことを、
「ものすごいギャラリーに囲まれた宮里藍さんが輝いていて、かっこよく見えたんです。その時に『自分もプロになりたい』と、父には言ったと思います。
出展元:Sportiva
父もその気になって『プロを目指すからにはがんばらないといけないんだぞ』と、私に厳しく接するようになって……。父は学生時代にテニスと陸上をやっていて、大人になってからゴルフを始めた人なんですけど、その日以来、二人三脚でゴルフに取り組みました」
出展元:Sportiva
とプロへの道を決意した瞬間だったのでしょう。
西村優菜さんも身長は高くなく、身長が低くても活躍していた宮里藍さんには勇気をもらったと語っています。
そして、その憧れていた人から直接ボールをもらったのも気持ち奮い立たせてくれたはずです。
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まとめ
今回は西村優菜さんの貧乏エピソード、家族構成、ゴルフをはじめるきっかけ、プロゴルファーを目指したきっかけを紹介してきました。
現在の姿からは想像できない、貧乏エピソードがあったんですね。
両親の支え、宮里藍さんからの影響により今の西村優菜さんがあるのでしょう。
今後も西村優菜さんの活躍から目が離せません。
