NON STYLEは石田明さんと井上裕介さんのによるお笑いコンビ。
M-1グランプリ2008王者、爆笑オンエアバトル第9代目チャンピオンなど賞レースでタイトルを獲得している実力派のコンビです。
今回は、石田明さんの学歴について調べてみました。
ノンスタイル石田の学歴は?
大阪出身の石田明さんは、小学校から高校までは地元の学校に進学しています。
出展元:就職ジャーナル
それでは、石田明さんの学歴を紹介していきましょう。
ノンスタイル石田の出身大学は?
出展元:スポニチ
石田明さんは高校卒業後は大学には進学せずに、料理の世界に足を踏み入れます。
父親が料理関係の職業だったので、ぼくはその父の敷いたレールに乗りたかったんです。
小さいころに野球をやっていたのも、父がもともとやっていたからで。
二人の兄が途中で挫折しても、ぼくだけは続けていました。
出展元:まいにちdoda
2人のお兄さんも料理関係の仕事をしていましたが、本格的なお店にはいなかったので石田明さんは懐石料理屋で働こうと決意したそうです。

石田明さん曰く、父親に認められたかったという動機が大きかったそうです。
石田明さんは料理人での生活を語っています。
お店を転々としながら2年くらいです。
会社員として修行させてもらいました。
ぼくの時代はめちゃくちゃ厳しいときで、でっち(雑用や使い走り)のように掃除や洗い物をしたり、ホタルイカの目を取ったり、水槽からアユをとってデコピンして脳振とうを起こさせて焼き場の人に回したりとかがほとんど。
あとは賄いを作ったりしていました。
朝は親方と市場に行って、誰よりも朝早くお店に入って、誰よりも遅く帰るみたいな生活でした。
出展元:まいにちdoda
料理人の世界は厳しいイメージがありますが尊敬できる人もいたとのこと。
しんどかったですけど、尊敬できる方もいたのでぼくは楽しかったですね。
何よりも父に認めてもらえそうなお店ではたらけていることがうれしくて。
実際、父がお店に食べに来てくれたりもしました。
といっても、ぼくは裏でアユにデコピンしていただけなんですけど(笑)。
知らずに洗い場に出たら、カウンターに父が座っていて「ああ、来てくれたんやな」ってうれしくなりました。
出展元:まいにちdoda



その後、石田明さんは芸人になりますが料理人で多くの事を学んだといいます。
芸人になってはっきり分かったのが、芸人って「自分が売れるため」という心境になりがちなんですけど、料理人の世界は「このお店のため」「このお客さんのため」っていう意識がめちゃくちゃ強いんですね。
出展元:まいにちdoda
石田明さんのように考える芸人さんは珍しいとは思いますが、長く活躍できるのもこの考え方のお陰なのかもしれませんね。
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ノンスタイル石田の出身高校は?
出展元:Wikipedia
石田明さんは大阪府立東淀川高等学校の出身です。
学校名 | 大阪府立東淀川高等学校 |
学科、コース | 普通科、看護医療コース、幼児教育コース |
偏差値 | 47 |
住所 | 大阪府大阪市淀川区宮原4丁目4-5 |
地図 | |
最寄り駅 | 新大阪駅 |
公式HP | 大阪府立東淀川高等学校 |
石田明さんは幼い頃から野球をしていましたが、高校でも野球部に所属していました。
強豪校というわけではありませんが練習は地獄だったそうです。
ベースランニングは地獄でしたね。
ノックを受けて、全員がノーエラーだったら終わりなんですが、1人でもエラーしたら、その瞬間全員でベーランを始める。
で、終わった瞬間にノックに戻る。
ベーランのことを「ノーエラー」って呼んでいたんですけど、「ノーエラーいくぞ!」って言われた瞬間震えてました。
出展元:朝日新聞
もしかしたら、料理人時代に頑張れたのも野球部での経験があったからかもしれませんね。
高校3年生でようやくベンチ入りすることができましが、最後の試合は2対15の点差の中、石田明さんは代打で呼ばれましたが、なんとバントのサイン。
ヘッドスライディングの甲斐もなくアウトで試合終了となってしまいました。



この際は采配は少し無謀ととれるので、監督さんは石田明さんにも想い出を作ってあげたかったのかもしれませんね。
その後、芸人になった石田明さんは甲子園で始球式を務め、感慨深いものがあったといいます。
ノンスタイル石田の出身中学校は?
出展元:Wikipedia
石田明さんは大阪市立大淀中学校の出身です。
学校名 | 大阪市立大淀中学校 |
学科、コース | – |
偏差値 | – |
住所 | 大阪府大阪市北区大淀中2丁目1-11 |
地図 | |
最寄り駅 | 福島駅 |
公式HP | 大阪市立大淀中学校 |
石田明さんは相方の井上祐介さんと中学生時代に出会っています。
2人の出会いは中学1年生。
当時について井上は「石田の方が身長低くて、ガリガリやったんです。
『ヒョロヒョロのちっちゃい男おるな』って感じ。
僕も低かったんですけど、僕の前に石田がいたんで」と回顧。
当時の写真が披露されると石田も「僕から見た相方は今のまんまですね。
憎たらしい顔してるでしょ?首の角度とかがちょっとイラっとさせるんですよね」とイジり、笑わせた。
出展元:スポニチ
同級生からコンビを組む芸人は多くいますが、第一印象はあまり良くない人が結構いますね。



ちなみに、石田明さんは学生時代「めちゃめちゃ暗かった」のだとか。
家にテレビがなかったので、遊びといったら、みんなと体を使うことしかなかったんです。
そんな中、姉がお笑いにハマって。
当時、大阪にあった二丁目劇場に一緒に行ったんですよ。
その時に観た漫才が、僕にとって初めての娯楽やったんです。
「すげえ面白い、こんなおもろい世界があんねんな」と思って。
出展元:就職ジャーナル
と、お笑いへの興味を抱いたのがこの頃だったと語っています。
そして、中学2年生の修学旅行で「出し物」をしなくてはいけなくなり、石田明さんが二丁目劇場に通っていることを知っていた女子にネタ作りをお願いされたそうです。



パクったネタを披露したものの、ウケるといる感覚に気持ち良さをこの時に感じたのだとか。
中学生の頃、野球がやりたくて仕方がなくそれを見かねた叔父が新品のグラブを買ってくれたそうです。
そのグラブをずっと手にはめて感触を確かめたり、枕元に置いて寝たりしていたそうです。
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ノンスタイル石田の出身小学校学は?
出展元:Wikipedia
石田明さんは大阪市立中津南小学校の出身です。
現在は閉校し、YMCAインターナショナルスクーが跡地を利用しています。
学校名 | 大阪市立中津南小学校 |
学科、コース | – |
偏差値 | – |
住所 | 大阪府大阪市北区大淀中2丁目1-11 |
地図 | |
最寄り駅 | 福島駅 |
公式HP | 大阪市立中津南小学校 |
石田明さんの家は裕福ではなく、自身も栄養状態が不完全で骨密度が足りてなかったのだとか。
なんと、ご飯を食べる習慣がなかったそうで、
家で出る、夜と朝のご飯はあまり期待できなくて、昼の給食頼みだったんです。
給食もあまりお腹いっぱいにして胃のサイズがそれに合ってしまうとツラいから、残りはビニール袋に移して持って帰ってたんです。
それで、夜は給食の残りを食べてました。
出展元:週プレ NEWS
と、食べる習慣がないというか苦労していたことが伺えます。



小学生3年生で野球を始めましたが、金銭面でボーイズリーグには入れず学校の小さいチームに入れてもらったのだとか。
そして、グラブっていえるか分からないような、ボロボロの革の硬いやつを河川敷から拾ってきて使っていたそうです。
他にも、一つのリコーダーを兄弟で使っていたとか、15歳までテレビがなかったなど極貧エピソードも。
それでも、現在は家庭も築き人気芸人まで上り詰めた石田明さんの努力は素晴らしいですね。
まとめ
今回は、石田明さんの学歴について調べてみました。
高校野球や料理人時代の厳しい体験でもめげなかったのは、幼少の頃に逞しく育ったことが生きたのではないでしょうか。
そんな経験が現在、素敵な家庭を築くことができているのかもしれませんね。

