オズワルドは、畠中悠さんの独特な奇妙なボケと、伊藤俊介さんのつぶやくようなシュールなツッコミが特徴のコンビ。
結成当初は、Wボケスタイルでしたがボケとツッコミが分かれる、しゃべくり漫才になりました。
今回は、オズワルドの畠中悠さんの家族構成と実家の職業についてや、学生時代のエピソードを紹介していきます。
オズワルド畠中の実家は函館
出展元:YOSHIMOTO
オズワルドの畠中悠さんは、現在の実家は北海道の函館市ですが元々は戸井町という人口2000人くらいの町の出身です。

飲食店が1軒もないような所で、畠中悠さんが高校生の頃に初めてコンビニができたらしく、大きな買い物をするときは車で20分~25分くらいかけて函館市内に行っていたそうです。
戸井町は津軽海峡の周辺なのでマグロの漁港としても有名です。
戸井町は北海道にしては雪が少なく、
僕はまったくスキーやスノーボードはできなくて、ソリしかやったことないです。
小学校3、4年くらいのときにスキー授業が1回だけあったんですけど、滑れないまま終わりました。
家族でもまったくやっていなくて。
出展元:お笑いナタリー
と、語っていて畠中悠さんが住んでいたあたりは、鹿や馬といった野生動物が多い地域だったそうです。
足が太い「どさんこ」という馬が野生で暮らしているのを、山に登って見に行ったりしてたらしく「馬注意」の看板があるくらい自然豊かな地域だったそうです。
そんな自然豊かな所で育った畠中悠さんは、
野球を小学校4年の頃に始めて、小6でキャプテンをしていたんですけど、1勝もしたことがなかったです。
遊びみたいな感覚でした。
監督も漁業組合の会社員で、趣味で子供たちに教えていて。
その監督に函館での試合終わりにファミレスに連れってもらって、そこでメシを食うことを楽しみにしていました(笑)。
出展元:お笑いナタリー
と、小学生の頃は野球少年だったそうです。
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オズワルド畠中の実家は昆布漁師?
小学1年生~2年生の頃の畠中悠さん
出展元:お笑いナタリー
畠中悠さんは、父親と母親、兄と姉の5人家族。
猫と犬も飼っていたそうです。
海沿いの町だけあって父親の職業が、
お父さんが、今は昆布漁師で、もともと僕が高校くらいまでは遠洋漁業でほとんど家にいなかったんです。
3カ月に1回、1週間か2週間帰ってきて、またいなくなる、みたいな。
出展元:お笑いナタリー
と、現在も漁業に携わっています。
そんな環境にいたので、
うちが漁師だったこともあって、今思えば魚介系はおいしいものを食わせてもらっていたなと。
ブリとかタコをお父さんが釣ってきたりとか、漁師仲間からもらったりとか。
出展元:お笑いナタリー
美味しい新鮮な魚介類を食べていたそうです。
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オズワルド畠中の学生時代のエピソード
中学生の頃の畠中悠さん
出展元:お笑いナタリー
畠中悠さんは中学生でも野球を続けていましたが、
中学でも野球をやっていたんですけど、僕が中学に上がった年に旭川から新しい監督が来て、めちゃくちゃ厳しかったんです。
中3の5月に、あと1カ月で中学校最後の大会があるというときに練習ですごく怒られて、嫌になって辞めました(笑)。
出展元:お笑いナタリー
子供ながらに、理不尽に耐えてられずに辞めてしまったそうです。
畠中悠さんの実家はあまり裕福ではなったらしく、
通学の片道670円のバス代を浮かすためにチャリで通学していました。そうすると1日1340円が手に入りますよね。海岸沿いの道ですごく浜風が強くて、なかなか辛かったです(笑)。
出展元:お笑いナタリー
と、学生時代の苦いエピソードを語っています。
オズワルド畠中のwikiプロフィール
出展元:東京新聞
本名 :畠中悠(はたなかゆう)
生年月日 :1987年12月7日
出身地 :北海道亀田郡戸井町(現函館市)
身長 :180cm
体重 :80kg
血液型 :B型
畠中悠さんは、中学生の頃に見たビデオでお笑いに魅了されることになります。
中学校のころ、友達が貸してくれた『オンバト(爆笑オンエアバトル)』(NHK)のビデオで衝撃を受けて好きになりましたね。
それまで漫才とかネタっていうものを観たことがなかったんですよ。
あのとき初めて「世の中にこんなおもしろいものがあるのか……」って気づきました。
陣内(智則)さんとかおぎやはぎさん、スピードワゴンさんの給食のネタとか、
今でも強烈に覚えてますね。『オンバト』は、3倍録画でテープに録って、繰り返し観てました。
あと、『(ダウンタウンの)ごっつ(ええ感じ)』(フジテレビ)を観て、「ダウンタウンさんってやっぱりすごいんだ」って気づいたり。
出展元:ロガール
そんな体験は直ぐに芸人を志すことにはならず、畠中悠さんは高校卒業後に就職をしています。
最初、チョコレート工場で働いてたんですけど、夜勤とかつらすぎて。
転職して金物屋さんで働いたんですけど、今度はつらくないけど、おもしろくもない。
このまま一生終わるくらいなら、もうどうなってもいいから好きなお笑いをやろうと思ったのが22〜3歳です。
出展元:ロガール
その後、24歳の時に高校の同級生とNCSに入学。
その同級生の元相方は、ギャンブ好きで金銭のトラブルもあり解散することになります。
畠中悠さんと相方の伊藤俊介さんは元々別のコンビを組んでいましたが、M-1グランプリ決勝進出を目標にコンビを結成することになりました。
まとめ
今回は、オズワルドの畠中悠さんの家族構成と実家の職業や、学生時代のエピソードを紹介してきました。
オズワルドには是非ともM-1グランプリ優勝を果たしてほしいものです。

